明治時代にフォニックス指導がされていた!

現在の天現寺駅のバス停。子どもたちは小学校の授業が終わり、天現寺から飯倉まで市電(都電)に乗って通っていた。このバス停のちょうど道路向かい側の樹木付近に慶応義塾幼稚舎がある。

メリ先生、明治37年~大正7年まで15年間勤務

前回の記事「大正9年に「子ども英語教室」があった!」の中で、中村キルビー・メリ先生が慶応義塾幼稚舎で英語教師として教壇に立って指導されていたことをご紹介しました。慶応義塾幼稚舎ではメリ先生の前に英語教師として教壇に立っていた尾崎テオドラ先生がいます。テオドラ先生は明治32年2月1日から明治36年9月まで教えていました。テオドラ先生のあとを継ぐようにメリ先生が英語教師となりました。テオドラ先生が赴任してから、新教授法で指導されるようになったり、教えられる英文字が変わったりしたようです。横臥体(読み方:おうがたい*おそらく筆記体のこと)から直立体(ブロック体)になりました。

天現寺の交差点

フォニックスが教えられていた!

当時、子どもたちはメリ先生からフォニックスを学んでいたようです。慶応義塾幼稚舎に通っていた教え子Cさん(当時の2年生)が以下のように記述していました。

教え子Cさん
「英語には音があります。Aはア、Bはブ・・・」とやさしく教えていただいた事が懐かしく思い出されます。

明治10年に日本で生まれたメリ先生ですが、大学はアメリカのニューヨーク・コートランド・ノーマルカレッジを卒業しています。高等教育をしっかり受けた女性でした。おそらくフォニックス指導法も学んでいたのでしょう。英語教育において「フォニックス」は音と文字をつなぐ指導法です。現代では子どもが英文を読めるようになる方法として広く使われていますが、明治時代にフォニックスを教えていたとは驚きですね。正確な発音指導をする厳しい先生だったようです。

英語のスピーチ大会、英語劇も

慶応義塾幼稚舎でも、コドモ英語会でも、英語のスピーチ大会や英語劇の発表会などが開催されたようです。日英バイリンガルのメリ先生ですが、英語指導はオールイングリッシュだったそうです。メリ先生はダイレクト・メソッド(直接教授法)の研究者でもありました。英語の発表会は新聞報道もされたようです。

教え子Dさん
私の加わった発表会(恐らく大正11年だったと思うが)は当時の一流新聞「時事新報」に大きく写真と共に報道されたのだから、その時代の子供の英語教育として注目されたのだと思う。

明治時代は士族などの特別な階級の子どもたちが慶応義塾幼稚舎に通っていました。コドモ英語会に天現寺から市電に乗って通う子どもたちは文明開化の日本の政治、経済を率いる人々になったことは言うまでもありません。身に付けた英語はかなり役立ったことでしょうね。

参考文献

田中照子編(昭和60年12月24日発行:非売品)「キルビー・メリ先生 日本の英語教育の先覚者」東京:キルビー学院

慶応義塾幼稚舎「慶応義塾幼稚舎史料集 第二集 慶応義塾学報編 明治31年~大正3年」

キルビー学院・・・新宿にあるキルビー・メリ先生が設立したスクール。現在も当時の「コドモ英語会」の流れをもつ子どもの英会話教室がある。学院の歩み

 

ABOUTこの記事をかいた人

清水 万里子

児童英語講師歴34年。教育学修士(岐阜大学)。(株)エデュシーズ代表取締役。Representative of Calgary Board of Education, Canada。2001年より、その道のプロがガイドする総合情報サイトのオールアバウト「子供の英語教育」オフィシャルガイド。現在、保育園、小学校、大学で非常勤講師。中日新聞「中日こどもウイークリー」英語学習面執筆、学校訪問記事を担当。岐阜県可児市「小学校英語コミュニケーション事業」アドバイザー。著書に「子供のための英語(金星堂)」「はじめての親子英会話(アスク出版)」「はじめての親子英会話あそび編(アスク出版)」がある。その他、共著多数。2018年ベトナムにて翻訳著書発売。All About 「子供の英語教育」オフィシャルサイトはこちら